TOP  >  トライアンフの基礎知識:沿革

3)沿革

トライアンフの歴史は、19世紀終盤に、ドイツ人実業家ジークフリード・ベットマンがニュルンベルクからイギリスに渡ったことから始まる。1885年、ベットマンは、会社を設立し、当時イギリスで流行していた自転車を販売することにした。創業当初は、バーミンガムのウィリアム・アンドリューズから供給を受けた自転車を、トライアンフという名前で販売していた。

1887年にはこの事業にエンジニアのモーリス・シュルトが加入し、1889年には、コンベントリーで自転車製造を開始した。

20世紀に入り、トライアンフのコンベントリー工場は、モーターサイクル事業に乗りだす。1902年、ベルギー製ミネルバエンジンを搭載したバイクを製作、1905年には、完全自社製マシン、モデル3HPを完成させた。

1919年、生産能力の多角化を推進するベットマンと対立したシュルトがトライアンフを去る。その後、ベットマンは四輪の製造に着手したが、経営はうまくいかず、1932年に自転車工場を閉鎖、4年後の1936年には、モーターサイクル部門もジャック・サングスタに買収される。

第二次世界大戦中、トライアンフの350ccツインのプロトタイプ、3TWが標準軍用バイクとして承認される。コンベントリー工場は空襲によって破壊されたが、新工場を設立し、生産を続ける。同時に、メリデンに新工場も建設、操業を始める。

1950年代になると、競合他社のBSAへ工場を売却するなどあったが、独立経営は変わらず続いていた。

1967年、元BSAグループ関連子会社の常務取締役ハリー・スタージョンが経営者となったが、わずか3年後に死去する。その後、ジョフェ、ユースタスと立て続けに経営者が変わり、日本車の台頭と一貫性のない経営が災いし、経営は窮地に陥る。

1973年、政府の資金援助により、新企業ノートン・ビリヤーズ・トライアンフが設立され、生産拠点をバーミンガムのスモールヒースにあるBSAの工場に移す。これに反対したメリデン工場の従業員が共同組合を設立、工場で生産を続けたが、1983年には工場を閉鎖することとなる。こうしてトライアンフの歴史は終わったかに見えた。だが、不動産開発業者のジョン・ブルーアが新企業、トライアンフモーターサイクルズ社を設立し、トライアンフの名を受け継ぐ。

新企業トライアンフは、次々と新ラインナップを発表し、好評を博していたが、2002年、工場火災で大きな損害を出す。しかしわずか6ヶ月で工場を再建し、全面操業を開始した。